高校時代に、ほんの少しだがいじめられた経験がある。羽交い絞めにされてズボンを降ろされ、パンツを脱がされかかった。この時に羞恥心とともに思ったのは、「いじめられる側」になった自分を、今までの友人は受け入れてくれるか、ということだった。何より恐れたのは、「朋輩」という対等の関係が崩れて、仲間から下に見られることだった。
社会人になってから、「いじめる奴」がいることも知った。ある後輩は、上司、部下を問わず相手を追い詰めていく強気な男だった。その男は、高校時代に音楽好きの友人が一番大事にしているレコードを借り出して「サンドペーパーで削って溝をつるつるにして返してやりました」と呵呵大笑しながら言った。血が逆流しそうになった。
「いじめ」というのは、人間関係が存在する限り、常に存在する。それは「いじめられる奴」がいるからではなく、「いじめる奴」がいるからだ。いじめる人間は、どんなところからでもいじめる口実を作って、少数の人間を攻撃する。そういう人間がいるのだ。
また本人は直接行為に加担しないが、「いじめる」を傍観する人間も存在する。いじめられる人間を見て、自らが「勝ち組」「マジョリティ」にいることを確かめるような連中だ。こういう人間がいじめを助長する。
うちの息子は体が小さくて、小中時代に何度かいじめにあった。悔しそうな顔をして帰ってきたが、私は「今の気持ちを覚えておけ」とだけ言った。心配ではあったが、いじめる側ではなく、いじめられる側だったことに、少し安堵した。まともな感性の持ち主だと思ったからだ。
日本は「いじめ」に対してきわめて鈍感な国である。年寄りの思い出話には、軍隊時代にいじめを受けた思い出が必ず出てくる。体育会系では、しごき、猛特訓という名のいじめがつきものだ。PL学園の野球部の生徒が、池に落としたスリッパを取ってくるように言われて溺死した話は有名だ。こうした事件は、被害者が死んだり重傷を負ったりしない限り、明るみに出ない。
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