2013年6月6日木曜日

「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た


 先週末のことである。これまで子どもと関わる仕事を続けてきて、街なかでも子どもの姿にはよく注意を向けてきたつもりだったが、「リード」をつけられて歩く子どもをはじめて見た。

 リードとか「ハーネス」とか言うらしい。Amazonで調べてみると、幼児用にけっこうたくさんの商品が出てくるから、需要は高いのだろう。「迷子ひも」なんて呼び名もあるようだ。リュックサックにヒモがついたようなものもある。自分が見たのは、リュックなどがついていないために、もう本当に「ヒモでつながれている」感じが目立つものだった。ヒモ部分も1メートルぐらいはあり、親子の身長差を補うというレベルでもない。

 そのようなものを使うことがあるらしい、と聞いたことはあった。ネット上で調べると、実際に活用している親によるコメントも簡単に見つけられた。その内容はと言えば、想像通りで、「虐待だと説教された」「嫌味を言われた」など、周囲から否定的に見られることへの嘆きである。

 では、自分はどう思ったのか。正直に言って、まずびっくりした。それからしばらくは同じ空間に居合わせたので、子どもの様子も観察したが、今回の場合については必要性がぴんとこなかった。しかし、総合的な判断ができるほどの情報がそろうわけでもなく、ヒモがなかったらどうなる子なのかもわからない。これまでに親がどんな経験をしてきたのかもわからない。だから、必要だとか不要だとか言うつもりはない。

 それから考えたのは、その子にヒモが必要かどうか、というよりも、「なぜ我々はヒモにつながれている子ども(とその親)に対して、強い違和感を覚えてしまうのか」についてである。

 大人の手からヒモでつながれた子どもを見て、みんな直観的に「犬やペットのようだ」と思う。それは確かに他の喩えが浮かばないぐらいの光景だ。動き回ろうとした子どもは、ヒモの長さを超えて動けない。ヒモを片手に安心して誰かと話す親の姿は、「飼い主」を想起させてしまう。

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─情報元:lessorの日記サイト様─