全米オープンテニスの錦織圭(24=世界ランク8位)は9日6時(現地8日17時)、日本人として初めてテニスの4大大会シングルス決勝に臨んだが、クロアチアのマリン・チリッチ(25=同12位)の前に屈した。
テレビとスポーツ紙を中心にメディアは、錦織の快挙にヒートアップ。ジュニア時代に錦織を指導した経験のある松岡修造氏などは、「圭は日本人。日本人の誇り。テニスを通して日本人の誇りを(世界に)示している」と言っていたが、彼がアスリートとして育ってきた環境を冷静に見れば、手放しで「日本の誇り」とは言いにくい面がある。
■父親が13歳の息子を単身渡米させた理由
5歳からテニスを始めた錦織は、小学6年で全日本ジュニア選手権や全国選抜ジュニアなどに優勝。日本テニス協会の盛田正明会長が運営するテニス基金によって、13歳で米フロリダ州のIMGニックボロテリー・アカデミーに留学した。そこは、アンドレ・アガシ(44)やマリア・シャラポワ(27)、ウィリアムズ姉妹などを輩出した、いわゆるプロ養成所。90カ国を超える同世代の選手が同じ屋根の下で寝食を共にする、いわば“テニス虎の穴”だ。
父の清志さん(58)は息子を強くするために、いろいろなことを研究し、留学を決めた。テニスジャーナリストの塚越亘氏は「錦織がここまで来たのは、両親が13歳で留学させる決断をしたからです」と言ってこう続ける。
「13歳の子供を単身渡米させるということはなかなかできるものではありませんが、留学経験によって錦織選手のプレーや考え方が世界基準になったことは間違いないでしょう。例えば、アカデミーの寄宿舎ではこんなことがあったそうです。冷蔵庫に自分の名前を書いた飲み物を入れておいたら、誰かに飲まれてしまった。日本ではまずそんなことはない。錦織選手はショックを受けたと同時に、日本の常識や考え方が通用しないことを知ったのです。イジメではないものの、最初のころは英語が話せないのでからかわれたりもした。ホームシックになりながらもライバルとは競争もしなければならない。こういうことも強いメンタルのベースになっているのです」
清志さんは、「日本人選手が世界で活躍できないのは個性が弱いため」と言う。息子を迷わず海外留学させたのは、「日本の中学、高校の部活動では、個性を大事にして育てたり、伸ばしてくれるとは思わなかった」とも語っている。
全豪女子シングルスでベスト8(77年)、同ダブルスで準優勝(78年)の経験がある佐藤直子日本プロテニス協会理事長は「若いうちから海外でプレーすることは多くのメリットがある」と言う。
「トップクラスの選手は当然、高いレベルの練習をするため、練習相手にはそれなりのレベルを求めるものです。錦織君はジュニア時代から国際試合に出場しており、実力を認められトップ選手と練習する機会は多かった。実戦でトッププレーヤーと互角の勝負や接戦を演じれば、他の選手から練習相手として指名される機会は増えます。実力が認められれば『次の練習には圭を呼ぼう』と声がかかるようになり、若いうちからトップ選手とのゲームを体感し、場数を踏むことで格上の選手にも臆することなく自分のテニスができるようになるのです。日本で練習を積んでいたら、恐らくですが、今の活躍はなかったのではないでしょうか」
■指導者の考え方、スケールにも差
ニューヨーク・タイムズ紙は、13歳で渡米した錦織の「日本人離れした特質」が快挙につながったと報じているが、スポーツライターの工藤健策氏は「米国の広大な練習環境や強力なライバルとの切磋琢磨もさることながら、指導者の違いが大きい」と言う。
「日本の指導者は、選手の個性を見ずに自分の型にはめようとする。プロ野球の日本ハムに所属する二刀流の大谷選手がいい例です。プロ入り前は、皆が二刀流なんて無理だと口を揃えていた。これはスポーツの世界に限ったことではありませんが、過去に例がないこと、自分が知らないこと、経験したことがないことは、あれはダメこれもダメと、最初から否定してしまう。だから、その人の指導枠から飛び出る凄い選手は、日本からはなかなか出てこないのです」
先月には、高校野球の強豪・済美高(愛媛)野球部の1年生が2年生からカメムシを食べさせられたり、灯油を飲まされそうになったことが判明した。学校の部活動には、指導者の暴力だけでなく、上級生の陰湿なイジメや厳しい上下関係も存在するなど、子どもがスポーツに後ろ向きになる話題が目立つ。
錦織圭は日本人初のグランドスラム準優勝で、確かに日本テニス界の歴史を変えた。だが、指導者が変わらなければ、日本テニス界の強化、底上げにはならない。清志さんの言葉は重い。
http://news.livedoor.com/article/detail/9237538/
─情報元:日刊ゲンダイサイト様─
テレビとスポーツ紙を中心にメディアは、錦織の快挙にヒートアップ。ジュニア時代に錦織を指導した経験のある松岡修造氏などは、「圭は日本人。日本人の誇り。テニスを通して日本人の誇りを(世界に)示している」と言っていたが、彼がアスリートとして育ってきた環境を冷静に見れば、手放しで「日本の誇り」とは言いにくい面がある。
■父親が13歳の息子を単身渡米させた理由
5歳からテニスを始めた錦織は、小学6年で全日本ジュニア選手権や全国選抜ジュニアなどに優勝。日本テニス協会の盛田正明会長が運営するテニス基金によって、13歳で米フロリダ州のIMGニックボロテリー・アカデミーに留学した。そこは、アンドレ・アガシ(44)やマリア・シャラポワ(27)、ウィリアムズ姉妹などを輩出した、いわゆるプロ養成所。90カ国を超える同世代の選手が同じ屋根の下で寝食を共にする、いわば“テニス虎の穴”だ。
父の清志さん(58)は息子を強くするために、いろいろなことを研究し、留学を決めた。テニスジャーナリストの塚越亘氏は「錦織がここまで来たのは、両親が13歳で留学させる決断をしたからです」と言ってこう続ける。
「13歳の子供を単身渡米させるということはなかなかできるものではありませんが、留学経験によって錦織選手のプレーや考え方が世界基準になったことは間違いないでしょう。例えば、アカデミーの寄宿舎ではこんなことがあったそうです。冷蔵庫に自分の名前を書いた飲み物を入れておいたら、誰かに飲まれてしまった。日本ではまずそんなことはない。錦織選手はショックを受けたと同時に、日本の常識や考え方が通用しないことを知ったのです。イジメではないものの、最初のころは英語が話せないのでからかわれたりもした。ホームシックになりながらもライバルとは競争もしなければならない。こういうことも強いメンタルのベースになっているのです」
清志さんは、「日本人選手が世界で活躍できないのは個性が弱いため」と言う。息子を迷わず海外留学させたのは、「日本の中学、高校の部活動では、個性を大事にして育てたり、伸ばしてくれるとは思わなかった」とも語っている。
全豪女子シングルスでベスト8(77年)、同ダブルスで準優勝(78年)の経験がある佐藤直子日本プロテニス協会理事長は「若いうちから海外でプレーすることは多くのメリットがある」と言う。
「トップクラスの選手は当然、高いレベルの練習をするため、練習相手にはそれなりのレベルを求めるものです。錦織君はジュニア時代から国際試合に出場しており、実力を認められトップ選手と練習する機会は多かった。実戦でトッププレーヤーと互角の勝負や接戦を演じれば、他の選手から練習相手として指名される機会は増えます。実力が認められれば『次の練習には圭を呼ぼう』と声がかかるようになり、若いうちからトップ選手とのゲームを体感し、場数を踏むことで格上の選手にも臆することなく自分のテニスができるようになるのです。日本で練習を積んでいたら、恐らくですが、今の活躍はなかったのではないでしょうか」
■指導者の考え方、スケールにも差
ニューヨーク・タイムズ紙は、13歳で渡米した錦織の「日本人離れした特質」が快挙につながったと報じているが、スポーツライターの工藤健策氏は「米国の広大な練習環境や強力なライバルとの切磋琢磨もさることながら、指導者の違いが大きい」と言う。
「日本の指導者は、選手の個性を見ずに自分の型にはめようとする。プロ野球の日本ハムに所属する二刀流の大谷選手がいい例です。プロ入り前は、皆が二刀流なんて無理だと口を揃えていた。これはスポーツの世界に限ったことではありませんが、過去に例がないこと、自分が知らないこと、経験したことがないことは、あれはダメこれもダメと、最初から否定してしまう。だから、その人の指導枠から飛び出る凄い選手は、日本からはなかなか出てこないのです」
先月には、高校野球の強豪・済美高(愛媛)野球部の1年生が2年生からカメムシを食べさせられたり、灯油を飲まされそうになったことが判明した。学校の部活動には、指導者の暴力だけでなく、上級生の陰湿なイジメや厳しい上下関係も存在するなど、子どもがスポーツに後ろ向きになる話題が目立つ。
錦織圭は日本人初のグランドスラム準優勝で、確かに日本テニス界の歴史を変えた。だが、指導者が変わらなければ、日本テニス界の強化、底上げにはならない。清志さんの言葉は重い。
http://news.livedoor.com/article/detail/9237538/
─情報元:日刊ゲンダイサイト様─