2011年5月8日は「母の日」であった。その夜遅く、重慶市九龍坡区石坪橋にある“五一新村”の集合住宅27号棟の31号室に住む“曹雲輝”は、妻の“呉遠碧”から言われて、同じ27号棟にある息子の“曹長城”の家でくつろいでいた。
日付が9日に変わった午前零時過ぎに、曹雲輝は同じ集合住宅の1階に住む妻の弟が「急いで自分の部屋へ戻れ」と切羽詰まった声で叫ぶのを聞いて、慌てて自室に駆け戻った。曹雲輝が自室のドアを開けて部屋に入ると、目の前に妻が気を失ってベッドに横たわっていた。呉遠碧の腹部は大きく切り裂かれ、流れ出た血潮で真っ赤に染まった切り口からは腸もはみ出していた。ベッドから床まで辺り一面は黄色い体液にまみれていた。驚き慌てた曹雲輝は、妻の傷口をふさぐと、急いで公安警察へ電話をかけて緊急事態の発生を通報した。
それから数分後、重慶市公安局の警官や付近の石坪橋派出所の巡査が現場に駆け付けたが、現場の状況を確認すると速やかに救急の“120”へ電話をかけて救急車の派遣を要請した。呉遠碧は救急車で近所の病院に運ばれて医師の診断を受けたが、腹部には3カ所の刃物傷があり、最も長いものは10センチメートルに達していた。医師は緊急で腹部の縫合手術を行ったが、その縫合は合計37針にも及んだ。この縫合手術によって呉遠碧の命は救われたが、夫の曹雲輝が後に語ったところによれば、呉遠碧の腹部から流れ出た黄色い体液は、3枚重ねの厚い敷布団をしみ通って床にしたたり、床一面を覆うほど大量なものであった。
・・・続きはこちら
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110603/220401/
─情報元:日経ビジネスオンラインサイト様─