日本社会は次々に起こる異常事態に翻弄された。そんな中で、象徴的な現象が起こる。「過剰な自粛」と呼ばれる行動だ。被災地のことを思えば、これまで「楽しい」と思えた行動にブレーキがかかるのは当然だ。贅沢な食事や、華美な服装や、没頭していた娯楽——その全てが、一夜にして「ふさわしくない行動」として塗り替えられる。これ自体は、突如私たちを襲ったショックと、私たちが本来持ち合わせている「良心」が相互作用すれば、誰もが自然にとってしまう行動ではある。
しかし本来、「自粛」は主体的な行動だ。だからこそ、冷静な個々人の判断で、個々人が終わらせることのできる類の行動であるべきものだ。それにもかかわらず、震災後の日本で日に日に増幅したのが、「過剰な自粛ムード」だった。冷静に、そして論理的に考えれば、例えば東京において外食や飲酒を必要以上に控えることは決して被災地のためにはならない。それどころか、消費を控えることは、ピンチに陥った日本の消費経済を停滞させることに他ならない。経済学者ならずとも、ちょっと考えればそれは分かる——だがしかし、とは言うものの、なのだ。「まあ、世の中的になんとなく」「なかなかそうできる雰囲気でもないし・・・」という気分が蔓延する。これまで持ち合わせていた理屈や客観的判断を凌駕して、その気分が人々の行動を決めさせている。
これが、世の中に生み出される「空気」のパワーなのだ。この「空気」とは何か。私はこれを、「多くの人々が、暗黙のうちに共有している情報や意識の集合体」と定義している。「空気」は、私たちが日々吸っている空気同様、目には見えないけれど、あらゆる論理や主張も超えて、私たちを拘束し、行動を決定づける。そしてまた、この「空気」というものに影響を受けやすいのが、他でもない私たち日本人なのである。「KY=空気が読めない」という表現が生まれるのも、空気に敏感な日本人ならではと言えるだろう。
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─情報元:日経ビジネスオンラインサイト様─
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