2011年8月23日火曜日

辛光洙釈放要望署名をめぐる櫻井よしこのお粗末

 菅氏は1989年、1980年に原敕晁さんを拉致し、1985年に韓国で逮捕され、裁判で死刑判決を受けた辛光洙の釈放要望書に署名しました。この要望書には、江田五月法相と千葉景子元法相らも署名しています。首相以下、二人の法務大臣が拉致実行犯のために助命嘆願したのが民主党政権です。異常な政府です。

菅首相は「よく知らずに署名した」と語りましたが、民主主義国家である韓国が民主主義の司法の手続きを踏んで死刑を宣告した犯人に関して、他国の国会議員が「よく知らないで」釈放嘆願をすることなどありえるでしょうか。もし事実なら、首相も二人の法相もあまりにもいい加減です。
民主主義国家が民主主義の手続きに従って死刑を宣告した犯罪者に対して、他国の国会議員が「よく知らないで」釈放嘆願をするのは「いい加減」なことだという。非民主的な独裁政権であれば不当な裁判も行われ得ようが、民主主義の下での判決は正当であろうから他国がみだりに口出しすべきではないという感覚なのだろう。

しかし、そういうことを言うのなら、当時の韓国は民主主義国家ではない。辛光洙が韓国で逮捕されたのが1985年、死刑を宣告されたのが1986年。当時の韓国は、全斗煥大統領による独裁下にあった。



全斗煥は、民主的な選挙によって大統領に就任したのではない。朴正煕大統領射殺後の混乱の中、粛軍クーデターで陸軍参謀総長を逮捕して軍の実権を握り、続いて政治家の活動を禁止し、民主化運動を弾圧して大統領に就任したのだ。

その統治下では、国会は存在し野党もあったが、政府と対等に闘う力はなかった。有力な野党政治家は政治活動を禁じられていた。言論の自由は大きく制限されていた。それは、より一層強力な独裁下にあった当時の北朝鮮の脅威に対抗するためには、やむを得ない選択であったのかもしれない。しかし、だからといって当時の韓国が民主主義国家であったとはとても言えない。

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