2011年9月8日木曜日

社長がいつ死んでも困らない会社に


1カ月留守にしてみたら、売り上げが2割も伸びていた

「社長がいつ死んでも困らない会社にしないといけない」。

北海道にある小さな問屋の社長を父から引き継いだ1993年、39歳の私はこう決意しました。それから17年経った2010年に、やむを得ない事情から1カ月ほど出社できなくなりそうだと分かった時、どこまで社長抜きで回るか試してみることにしました。
社員たちに「1カ月留守にする。一切連絡を取らないように」と言い渡し、それから全く社員に接触せず過ごしました。1カ月後会社に出てみると社長の私が不在の間、商売は前年同時期に比べ2割も伸びていました。
「社長がいなくても仕事ができるようになったかな」と感慨を深める一方で「誰一人連絡してこないとは案外冷たい連中だ」と思ったりもしました。「顔を出すな」と私が言った通りに社員はしただけなのですが人間というのは勝手なものです。

商品点数は100万アイテムを超える
「社長がいなくても回る会社」ということを考え始めたのは、社長になる1年前の1992年に出向先から戻って役員になった時でした。呼び戻されてすぐ当時の役員や幹部が体調を崩してしまい、ほぼ私1人で会社を切り盛りするはめになりました。

 

当社は電設資材(電材)卸業を営んでいます。あまり聞いたことが無い業種だと思います。全国の組合加盟数が地域の重複を含めても800社足らず、非加盟企業を入れても1200社程度の企業集団です。
電気を必要としない人間はいませんから、顧客は法人個人の区別無く万人です。得意先は工事業者で、我々が電気資材や電設資材を電機メーカーから仕入れ、工事業者に納めます。悩ましいことに扱い商品点数は現行品だけで100万アイテムを超え、ベテランでないとなかなか受注業務をこなせませんし、日常の事務処理は極めて煩雑です。
社員20数人の小所帯でありながら仕事は営業、配送、経理と一通りあり、それぞれの部門にベテランがいて、いわゆる縦割りになっていました。社員の多くが年長という状態で当時30代の私が複雑怪奇な電材問屋を動かせるわけがありません。
「すべての仕事を理解したとしても、いちいち指示するのは到底無理だ。それより仕組みを整えて社長がいなくても済むようにしよう」と考え、あれこれ取り組んできた次第です。

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http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110905/222467/
─情報元:日経ビジネスオンラインサイト様─