2012年4月11日水曜日

沈められた湯の中で「私が死ねば、大好きなお父ちゃんは楽になる」


【虐待越えて タエコの40年(4)実父】元来、心優しい人だった。小学2年から約6年間にわたって両親から虐待を受け続けた島田妙子さん(40)は、妙子さんを死の淵にまで追い込んだことのある実父について「あのころは魔法にかかっていた」と評した。


■「産んだわけでもないクソガキ」
大好きだった。幼いころは、お風呂に入った際に、兄妹3人でおとうちゃんの背中を流す役を競い合った。
《両親の離婚は妙子さんが5歳になる少し前。小学2年のときに父が再婚し、妊娠を境に継母の虐待が始まった。最初は守ってくれた父だが、すぐに継母とともに兄妹3人の虐待を始めるようになった》
弟が生まれ、子育てに熱心でない継母に代わり、わたしや小兄(しょうにい)(2番目の兄)が弟と遊んでやることが多かった。
そんなある日、弟がこたつにつかまり立ちしようとして後ろ向きに倒れ、頭をこたつの角で打った。弟は血を流していた。継母は「絶対許さん」と怒り、わたしを裸にして靴べらでめった打ちし、体中にみみずばれができた。これを機に、お父ちゃんに継母の虐待がばれ、怒ったお父ちゃんは継母をげんこつで殴った。
これで継母の虐待は終わると思ったが、継母は「誰が、自分で産んだわけでもないクソガキの面倒みてやってると思うとんねん」と激高。継母の虐待はおさまることなく、逆に、お父ちゃんも虐待に加わる地獄の日々が始まった。
小3の冬だった。お父ちゃんはそのころ酒浸りの日々。兄妹3人のことをあれこれ言い募る、いつもの継母の「口攻撃」が始まり、「やばい、せっかんが始まる」と思っていたところ、お父ちゃんと目が合った。

「なんや、その目は。親に対してその目はなんや」と怒鳴ったかと思うと、お父ちゃんはわたしの着ていた服を破り、体を押さえつけて継母に「包丁もってこい」と叫んだ。継母が動かないため、お父ちゃんは自分で台所に包丁を取りにいった。
怖くなったわたしははだしで外に飛び出し、「助けて」と叫んだ。雪が降る日で、外では隣の親子が雪遊びをしており、わたしに続いて現れた包丁を持ったお父ちゃんを見てびっくり。さすがに見かねた継母がお父ちゃんを注意し、お父ちゃんは我にかえった。

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http://news.livedoor.com/article/detail/6448817/
─情報元:産経新聞サイト様─