2015年6月26日金曜日

昨今の「日本すごい」の風潮、でも調べたら未来のほうがすごくなりそう

最近テレビなどで日本人による自画自賛系の番組が増えています。確かにやり過ぎな面もありますが、世界をアッと言わせる発見や発明を、今もなお生み出し続けているのも事実。ではそんな日本人独特の気質とは、どういったものなのか。『国際戦略コラム』の著者・津田慶治さんは、和食が進化していった過程や、近年の“公害史”などを紐解きながら、日本人が等しく備えるマニアックさと、それへの誇りについて論じています。

日本が世界を変える

中国人が日本を旅行すると、礼儀の正しさ、街の綺麗さ、店員の親切さなど驚嘆している。欧州より日本の方が綺麗であると驚嘆している。また、日本からのイノベーションが多くなってきている。
トヨタの水素自動車、がん治療の新免疫治療法、老化の原因AGE(エージーイー)=終末糖化産物の発見、7種類のサーチュイン遺伝子を全て活性化させる物質若返り薬NMNの発見、廃ペットボトルを分解する遺伝子組換え大腸菌の開発、海洋温度差発電を実用化した「ウエハラサイクル」の発明など、今後、世界を変える発見、発明の山が日本または日本人からできている。これは、日本人や日本が世界を変えることになりそうである。その検討である。

0.日本が発展した原因

5389の「日本の原理とは何か?」でも述べたが、日本文化の頂点は3回ある。1回目は縄文時代で三内丸山遺跡でわかる通り、縄文土器で、どんぐりや栗、海山物を煮る美味しそうな食文化がすごく、また縄文時代から漆器が使われていたことが分かっている。黒曜石の商人が日本海を越えて交易していた。
もう1つが、江戸時代であり、中国文化を完全に吸収して、その上に独自文化を積み重ねて、江戸文化にしている。食文化としては、寿司、そば、天ぷらなどを生んだ。
もう1つが、今後の日本文明であろうと思う。西洋文明を完全に消化して、その上に江戸文化や独自文化を重ねた日本文化を作るように感じる。
中国文化吸収には、吸収段階が2段あった。縄文時代から弥生時代になると、中国文化が朝鮮を伝わって流れてきて、飛鳥時代には直接、遣隋使を通して中国から文化を得るようになる。663年(天智2年)8月の白村江の戦いに敗北したことで、中国の律令制を導入した。しかし、平安時代には遣唐使を廃止して中国文化を日本化して、ひらがなやカタカナを作った。
次の吸収は、鎌倉時代に南宋が滅亡して、貴族が大量に日本に亡命したことで、南宋の文化を移した五山文化ができることである。室町時代には、「わびさび」の文化や書院造り、精進料理として、日本に定着する。
中国は南宋後、漢民族の王朝はできずに異民族支配が続き、日本が導入できる文化的なものがなくなる。室町時代に遣明使を送るが、中国文化を持ってきていない。そして、南宋の文化を元が焚書抗書したことで、水墨画や書以外の南宋文化は中国では絶滅した。
このため、茶道、華道などは中国にはなくなっている。
平和な江戸時代に、その上に独自文化を生み出すことになる。
しかし、明治を迎えて、西洋文明が押し寄せて、日本は西洋文化を吸収し始める。技術を導入したが、思想も同様に導入する。大きな思想は帝国主義であり、このため、戦争に勝つことが必要と富国強兵政策を取る。
しかし、第2次大戦で敗北して、日本は一転、強経弱軍の思想にして、経済的な技術を積極的に導入したが、公害問題が起こり、国民は経済中心ではなく、国民生活中心にするべきと思想が変わる。
その思想のもとで、地球全体の危機として認識されている省エネや温暖化問題解決、医療などの分野で日本、日本人は多くの活動をして、発見、発明を重ねている。


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─情報元:まぐまぐニュース!サイト様─