2010年6月3日木曜日

批判されても、批判されても……貧困ビジネスに立ち向かう理由 (1/6)

▼▽▼ 文中より抜粋 ▼▽▼

ボランティアを始めたきっかけ

——2008年の年の瀬、年越し派遣村の村長として、突然1人の男が登場した。活動家・湯浅誠——。派遣切りなどによって住むところを失った人たちの前で、湯浅はマイクを持ち語り続けた。その姿をテレビなどで見て「この男は一体、何者なんだ?」と思った人も多いのではないだろうか。

貧困をなくそうと活動を続ける湯浅は、一体どのような人物なのだろうか。彼の素顔に迫ってみた。

小さいころから勉強は嫌いではなかったですね。母親が小学校の先生だったこともあり、教え方がうまかったのでしょう。うまくのせられながら、勉強をしていましたね。

大学は1年浪人して、東京大学文科I類に入学しました。入学する前から「人に雇われる仕事には就かない」と、無根拠に決めていました。「弁護士にでもなろうかな」と漠然と思っていたのですが、そのための勉強はほとんどしませんでした(苦笑)。大学の授業もサボってばかり。学校には行かず、児童養護施設で子どもたちに勉強を教えるという、いわゆる学習ボランティアをしていました。

わたしの兄は障がい者なので、小さいころから自宅にボランティアの人が出入りしていました。兄のために来ていただいたのですが、わたしも一緒に遊んでもらっていたので「大学生になれば恩返しをしよう」と決めていました。子どもたちの勉強を見るのは、週に1回ほど。ただボランティア仲間と仲良くなり、彼らと会うために頻繁に通っていましたね。

また1年生のときの夏休みに、中南米に旅をしました。メキシコから入り、コスタリカ、ペルー、ボリビアなどを回り、ブラジルに。なぜ中南米に行ったかというと、あまり日本人がいないと思ったから。しかし当時は円高ということもあってか、日本人はたくさんいましたね。

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