2011年7月5日火曜日

原発作業員「幹細胞採取」なぜ実施されない 揺らぐ安全思想、巨大余震への備えに深刻な懸念


3・11の巨大災害から3カ月目になる6月11日を挟んだ数日間、私は被災地取材で岩手県、宮城県、福島県を巡っていた。

これまで延べ約50カ所の被災地を訪ねてきたが、壊滅状態だった三陸海岸の漁村の中には瓦礫の片付けがほぼ終わった場所があり、また仮設住宅の建設工事もあちこちで見た。その一方で、メチャメチャになった住宅街が、大型工場が、3・11当日、巨大津波に破壊されたまま放置された町も少なくなかった。

岩手県釜石市、大船渡市、陸前高田市、宮城県気仙沼市などを海岸線沿いに南下し、全滅した宮城県本吉郡南三陸町・志津川地区の町はずれに着いたのは6月10日の午後8時を過ぎだった。

震災後に南三陸町を訪ねたのはこれで4度目だが、夜は初めてだった。そして驚いた。クルマを止め道路際に立ったが「町が見えない」のである。

1つの照明も点灯していない街
人口約1万8000人のうち1万5000人が暮らしていた小都市、志津川地区には、3カ月目になろうというのに1つの照明も点灯していなかった。

小雨模様の夜空を見上げると、雲を通して月の明かりがぼんやりと見えていたが、この町はまるで夜闇に包まれた砂漠だった。遠くに、町の南のはずれにあるホテル観洋の明かりだけがポツンと見えるのみだ。もっとも、時折通り過ぎるクルマのヘッドライトが、突然、道路脇に転がったままの破壊されたクルマの姿を写し出しドキッとする。
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http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20110629/221182/
─情報元:日経ビジネスオンラインサイト様─

末梢血幹細胞採取と成分採血―医師と看護師によるアフェレーシスの理解と実践