2012年7月9日月曜日

ノマド幻想 − 「自由になるという不幸」


近ノマドという言葉を良く聞きます。友人の本田直之さんも「ノマドライフ」という書籍を出していますし、知り合いにもノマドというライフスタイルを始める人が何人か出てきています。


ノマドという言葉は曖昧で、正式な定義がある訳ではないようですが、元々遊牧民という意味だったのが、組織に所属しないで自由に仕事をするライフスタイルという意味に変わり、今ブームになっているようなのです。


組織に縛られないでカフェなどでパソコンだけで仕事していく自由なライフスタイル。一見、素敵な毎日に見えるのですが、組織を離れ自分で仕事をしていくということは、果たして自由で幸せなことなのだろうかというのが私の素朴な疑問です。



確かに、自分で仕事をコントロールして、好きな時間に好きなことができれば、ストレスも無く、やりたいことができると思うかもしれません。しかし、現実には自分の好きな仕事だけを選んで、生活できるだけのお金を稼げる人というのは、極めて少ないと思います。

ハワイと日本を行き来しながら、自分の好きな時間に好きな仕事をセレクトできる。本田さんのようなノマドライフというのは、極めて例外的なのです。

せっかくノマドになっても、仕事が選べないようになると、嫌な仕事でも生活のために引き受けざるを得なくなります。たとえ単価の安い仕事でもやらざるを得なくなります。当然、楽しくありませんし、時間も拘束されるようになって、自由ではなくなります。高い仕事のクオリティが維持できなくなれば仕事の依頼も減ってしまいます。

また、一人で仕事をするということは、人事部も経理部も営業部も社長も全部一人でやるということです。パソコンが壊れてもIT部に電話して直してもらうことはできません。自分で家電量販店に行って、修理しなければならないのです。仕事が無ければ、自分で営業して取ってこなければなりません。

自由であるということは不自由でもあるのです。

ノマドで自由になるためには、営業しなくても、全て受けきれないくらい仕事を頼まれるようになる必要があります。そうでなければ、自由のために始めたことが不自由をもたらすことになってしまう可能性が高いのです。

ノマドの前にもフリーター、起業家、といった従来にない仕事のスタイルというのが一時的にブームになったことは今までもありました。しかし、本当にそのライフスタイルに向いている人はほんの一握りで、多くの人は結局失敗に終わってしまったのが現実です。

ノマドという生き方も、現実からの逃避ではなく、本当に自分がやりたいことだと心の底から思える人だけが、充分に計画と戦略を立ててから始めるべき。そんな風に思いました。

http://www.shinoby.net/2012/07/post-2708.html
─情報元:「自由になるという不自由」 - 内藤忍の公式ブログサイト様─