2012年10月4日木曜日

安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 1/2


アシュリー事件―メディカル・コントロールと新・優生思想の時代

尊厳死法制化をめぐる議論で、尊厳死を推進しようとする人たちの中から「既に安楽死や自殺幇助を合法化した国では、なんらおぞましいことは起こっていない」という発言が出ることがある。私はそうした発言に遭遇するたびに、そこでつまづき、フリーズしたまま、その先の議論についていくことができなくなってしまう。

「おぞましいこと」は本当に起こっていないか? それとも現実に何が起こっているかを、この人は知らないのか? しかし、これだけ尊厳死法制化に積極的に関わってきたこの人が、本当に知らないということがあるだろうか? それとも現実に起こっていることを十分に承知していながら、なおかつそれらをこの人は「おぞましい」とは思わない、ということなのだろうか? ……目の前の議論から脱落し、そこに立ち尽くしたまま、私の頭はこだわり続けてしまう。



 2006年の夏から、インターネットを使って介護と医療に関連する英語ニュースをチェックするのが日課になっている。最初は単に仕事のための“ネタ探し作業”だったのだけれど、アシュリー事件と出会ったことから事件を追いかけるためのブログを立ちあげると、“ネタ探し作業”が一気に“本業”になってしまった。

アシュリー事件とは何か

アシュリー事件とは、米国のシアトルこども病院で04年に重症重複障害のある当時6歳の女の子アシュリーから子宮と乳房が摘出され、ホルモン大量投与で身長の伸びが抑制されたもの。両親が「アシュリー療法」と名付けたこの医療介入の倫理問題をめぐって、07年に世界的な論争が巻き起こった。

私にはアシュリーと同じような障害像の娘がある。「介護をしやすく」「本人のQOLのために」「赤ちゃんと同じ重症児に尊厳は無用」などの議論に衝撃を受け、事件やその周辺の議論を追いかけてきた。事件については昨年『アシュリー事件 メディカル・コントロールと新優生思想の時代』(生活書院)として取りまとめたところだ。

この事件を追いかけた年月、私はアシュリー事件という小さな窓を通して、世界が自分の想像をはるかに超えるコワい場所であることを発見し続けてきた。いつのまに世界はこんなにコワい場所になっていたのだ……と、呆然とすることの連続だった。その思いは、ブログを始めて6年が経った今も強まるばかりだ。
「おぞましい」と感じるかどうかは個人の感性によって違うかもしれないけれど、そのコワい世界の現実の中から、「死の自己決定権」議論(安楽死または自殺幇助合法化議論)の周辺で起こっている出来事の一部を紹介したい。なお、それぞれの情報の元記事は拙ブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara)の当該エントリーにリンクされている。

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http://blogos.com/article/47585/
─情報元:SYNODOS JOURNALサイト様─