グリーン車にまつわるツイートが炎上していて、思うところがあるので書いておきます。
ざっくりと顛末を整理
新年早々の炎上案件なので、知らない方も多いと思います。簡単に整理しておきます(超混雑だった東海道新幹線の乗客が「立っているお年寄りをグリーン車に乗せるべきだ」とツイート→炎上 - NAVER まとめ)。
この件については佐々木俊尚さんも連続ツイートで言及しています(佐々木俊尚さんのツイートまとめ/「2014年、おおらかさと思慮深さの年に」 - Togetterまとめ)。
佐々木さんに寄せられる声を見ていて興味深いのは、この件に対して批判的な人たちは、「この社会では、お金を払えば『必ず』代金に見合ったサービスが提供されるはずだ」という期待を持っているように見えることです。
さて、批判的な人々は「お金を払ったんだから、グリーン車の席に座れて当然だ」と考えています。その考えは間違いではありませんが、前提として、必ずしもそうであるとは限りません。実際、今回のように「電車が長時間停止した」という非常時においては、そういう前提は覆ってもおかしくはありません。
ぼくは期待値を低くして生きている人間なので、お金を払うときには「この値段分の対価が、必ず得られる」と期待しません。今回の例でいえば、グリーン車のチケットを買ったとしても、何か非常事態が起きたら、その対価は得られずに終わることは「ごく普通にありえる」と想定しています。
こうした「お金を払えば価値が提供される」という期待の大小は、人によってかなり振れ幅があるように感じます。
途上国で暮らしたことがある方なんかだと、もんのすごく、この期待値が低いですよね。「日本ではお金を払うと、いつも当たり前のサービスが返ってきて感動する」なんて声を聞いたことがあります。
http://www.ikedahayato.com/20140105/2111824.html
─情報元:イケハヤ書店サイト様─