2014年1月20日月曜日

「社員は家族です」という経営者の甘え 会社はあくまでも「取引先」でしかありません。


日本の会社には、奇妙な風習が多すぎる。そんな主張で一躍、月間50万PVの大人気になったブログがある――それが、「脱社畜ブログ」だ。
この連載では、「脱社畜ブログ」管理人で、書籍『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』を刊行予定の筆者が、日本の会社の奇妙な風習を正面からぶった切っていく。第5回目は、「社員は家族です」という言葉の真意を探ってみたい。
こんにちは。「脱社畜ブログ」管理人の日野瑛太郎です。
ビジネス雑誌などを読んでいると、たまにインタビューなどで「社員は家族です」といった発言をする経営者を見掛けることがあります。
こういうことを言う経営者は、おそらく「うちの会社は、社員一人ひとりを家族のように大切にする会社です」ということをアピールしたいのでしょう。社員の側からすれば、会社がそんなふうに自分たちを大事にしてくれるというのであれば、心強いということになりそうです。
でもこの言葉、本当にそのまま好意的に受け取ってしまってよいものなのでしょうか?
「社員は家族です」と社長が言っている会社にかぎって、実は連日深夜まで残業させられたり、有給休暇が全然とれなかったりすることが多かったりもします。一部では、「社員は家族です」という言葉は、「アットホームな職場です」という言葉と並んで、ブラック企業を強く推定させるワードだから気をつけなければならない、とさえ言われています。
そこで連載5回目の今回は、この「社員は家族です」という言葉の真意を探り、そこから会社との適切な付き合い方について考えてみたいと思います。

■相手を「身内」だと思うことから甘えが始まる

「社員は家族です」という考え方に賛成できないのは、このような考え方によってどこまでも社員が「身内扱い」されてしまう点にあります。
実際の家族でもそうですが、「身内」にはどうしても「まあ、いいか」という甘えの気持ちが出てしまうものです。
たとえば、あまり楽しい例ではありませんが、子供が親の財布からおカネを盗んで遊びに使ってしまったとします。これが親子の関係でなければ、ただちに警察に届けて犯人を逮捕してもらいたい、という話になると思うのですが、盗んだのが「身内」の場合は、ここまで厳しく追求しようとはあまりしません。盗みを働いた子供も、相手が親という「身内」だからおカネを盗ったのかもしれません。
相手が「身内」だと、相手が「他人」の場合に比べて、約束やルールを守ることについての意識が緩みがちになってしまいます。
これは会社と社員の場合であっても、同じです。
社員を「身内」のように考えていると、「今は会社が大変なときだ、だから残業代を払うのは勘弁してほしい」であるとか、「このプロジェクトがコケると会社が傾く、悪いがこれから1カ月、休みはないと思ってくれ」といったような、約束の範囲を超えたむちゃな要求が飛び出すようになります。
本来であれば、「残業代は払えない」であるとか「1カ月は休みなく働いてくれ」というのは、完全にルール違反です。会社には社員にそこまで要求する権利はありませんし、社員も別にそんな要求に応えなければならない義務はありません。それでもこういうむちゃな要求をしてくるのは、「身内」だから多少のルール違反でも大目に見てもらえるのでは、という甘えがあるからではないでしょうか。
「社員は家族です」という言葉は、裏を返せば「身内なんだから、多少のむちゃや約束破りも大目に見てよ」ということでもあるわけです。

■「社員=家族」なら社員に会社から逃げ出す自由はない

「社員は家族」という考え方が大きく問題になるのは、会社の業績が悪くなってしまったときです。
家族は基本的に、辞めることができません。
養子縁組であるとか勘当のような例外はあるにせよ、基本的に家族はずっと家族です。
磯野家の家計状態が悪化したからといって、磯野家を辞めて家計に余裕がありそうな中島家の家族にしてもらおう、というわけにはいかないのです。問題が発生したら、家族は団結してその解決にあたらなければなりません。
これは、会社が社員を「家族」と呼ぶ場合にも、そのままあてはめられてしまいます。
会社の業績が悪化しているのであれば、「家族」である社員は一丸となって、会社を立て直すために各自必死に働くことが求められます。
緊急事態ですから、プライベートなんて二の次です。間違っても「未来のない会社にはさっさと見切りをつけて転職しよう」なんて考えてはいけません。家族なんですから、会社が潰れるなら潰れるそのときまで、会社のために尽くし続けなければならないのです。
「社員は家族」と考えることは、社員を家族のように大事にするという一方で、会社が危ないときには社員に会社と運命を共にすることを強要しているということでもあります。
日本経済が右肩上がりで成長していた時代だったら、会社と一蓮托生でも幸せになれたかもしれませんが、今やどんな大きな企業であっても将来のことはわかりません。そんな時代に、運命共同体として会社と緊密な関係を築いてしまうのは、ものすごく危なっかしいと感じてしまうのは僕だけでしょうか。

■会社はあくまで「取引先」、状況次第でいずれ別れるときもくる

これからの時代、会社との付き合い方は冷静に考える必要があります。
時には会社にコミットするのもいいでしょうが、それでも自分の中のどこかには、会社と自分の関係を客観的に判断する視点を持ち続けるべきです。第2回でも書いたように、自分はあくまで「雇われにすぎない」ということを忘れてはいけません。会社の将来が危ないのであれば、経営者と同じようにプライベートを返上してそれを立て直そうとするのではなく、新しい働き先を探すようにしたほうがはるかに健全です。
お勧めなのは、勤め先の会社を「取引先」だと考えることです。自分を個人事業主であると仮定して、今の勤め先の会社と取引をしているのだ、と考えながら働くようにすると、会社と適切な距離が保てるようになります。
もちろん「取引先」とは誠意を持って接しなければなりませんが、それでもずっと運命を共にする必要はありません。時間が経てば、お互いに状況は変化します。お互いのためにならないと思ったら、そのときは別々の道を行けばいいのです。
取引先の業績が悪いというのであれば、新しい取引先を探す(転職する)のは普通のことです。間違っても、会社と心中するなんてことはありえません。
このような考え方は、一見、冷徹なように思えるかもしれませんが、会社と社員がお互いに適切な距離を保つことは、経営者と社員双方が「甘え」の気持ちを持たなくなるという点でも意義があります。
家族のような身内だと、どうしてもなあなあになってしまい、お互いに約束が守れなくなったりすることがありますが、「取引先」は完全な他人ですから、約束はしっかり守らなければなりません。残業をすれば当然、残業代は払われますし、一方で社員の側も、給料の額に見合うだけの仕事をきっちりと果たす責任があります。
お互いに「よい関係」であるためには、距離は近すぎてはいけないのです。

■会社と「取引先」として付き合うために

それでも多くの会社は、社員に対して会社との距離を縮めることを強要してきます。最後に、そういった強要に打ち勝って、会社と「取引先」として付き合う心を忘れない方法を紹介しましょう。
いちばん手っ取り早いのは、転職サイトに登録することです。
別に、本当に転職しろと言っているわけではありません。ただ、「転職する未来だってある」ということを意識できれば、それで十分です。転職サイトで求人を眺めているだけでも、今の会社でずっと働くだけが未来ではないんだ、ということがよくわかります。本当に転職したいと思ったら、そのときは本腰を入れて会社を探せばよいでしょう。
あるいは、規模は小さくてもよいので、会社とは関係ない自分のためのビジネスを始めてみるのもお勧めです。
そういうビジネスで本当に満足行くだけのおカネを得ることは、決して簡単ではないですが、少なくともチャレンジするだけで「今の会社がすべてではない」ということは意識できるようになります。
みなさんが、会社とうまく距離を保ち、健全な関係を維持できることを祈っています。
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http://news.livedoor.com/article/detail/8436157/
─情報元:東洋経済オンラインサイト様─