2014年9月2日火曜日

許すということ:肉親が殺されるなど信じられない状況で、それでも犯人を許した驚くべき25人の人々

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 人の手で悲劇が引き起こされてしまったとき、加害者はもとより、ときには人類そのものに対しても怒りの念を抑えることは難しい。しかし、そうした酷い状況においては「許す」ことこそが、心を解放し、明るい未来につながるということを、先人たちの知恵が教えてくれている。

 だが人は簡単に恨みに取り憑かれてしまう。なぜなら許すよりも恨むほうが簡単で楽だからだ。それゆえにこれから紹介する25人が見せた許しにはきっと驚かされることだろう。


25. 町を大破した日本人兵を許したブルッキングズ町の住人

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 第二次世界大戦の最中、旧日本海軍の藤田信雄は首脳部による単独命令で、オレゴン州の海岸沿いを爆撃した。(この辺の経緯はアメリカで伝えられているものと日本とで差があるようなので、詳しくはwikipediaを参照のこと)終戦後、藤田は爆撃した森に囲まれた小さな町ブルッキングズを訪れ、住人に許しを請うた。後悔と謝罪の証として、彼は藤田家に先祖代々伝えられてきた400年前の刀を町に寄贈した。ブルッキングズ町の住人は藤田を許した。寄贈された刀を親善大使「藤田」の名とともに地元の図書館へ展示することにした。


24. 父親を殺した母親を許したスティーブン・オーウェンズ

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 母親が雇った殺し屋によって父親が殺されるのを目撃したスティーブン・オーウェンズは、その後13年間に渡り、刑務所にいる母親との面会を拒否した。2009年8月23日、彼が母親との面会を決意してから全てが変わる。3時間にわたって本心を打ち明け合ったのち、オーウェンはついに母親を許した。


23. 父親を轢いたドライバーを許したブランドン・ビッグズ

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 ブランドン・ビッグズの父親は酔っぱらい運転の車にひかれて、残酷な死に方をした。事故発生後、運転手は彼の父親を車で自宅まで運び、ガーレジの中にそのまま放置したのだ。医療関係者によれば適切な処置を受けていたら、死なずに済んだらしい。あり得ない事件である。それでもブランドンはそのドライバーを許した。


22. 娘を殺した黒人を許したエイミー・ビールの家族

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 エイミー・ビールは南アフリカで実施されていたアパルトヘイトの反対運動をしていたが、白人への反感を抱く黒人によって殺害された。しかし彼女の両親は娘の死に悲しみに暮れたものの、娘を奪った政治的状況を理解すると、犯人を許し、南アフリカの若者の支援を目的とする慈善団体「エイミー・ビール基金」を設立した。


21. 家族全員を殺した犯人を許したイマキュリー・イリバジザ

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1994年のルワンダ虐殺で、イマキュリー・イリバジザは家族全員を失った。小さなバスルームに隠れて命拾いした彼女は、なんと家族を殺した人たちを許すことにした。怒りや憎しみは自分自身を駄目にしてしまうと感じたからだそうだ。後になって、ベストセラーとなった「生かされて」を執筆し、虐殺で孤児となった子供たちを支援するレフト・トゥ・テル慈善基金を設立する。


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─情報元:カラパイアサイト様─