福島第一原発から南に40~50キロ離れたいわき市。人口33万人近いこの都市には目下、約2万4000人の避難民が居住している。
補償金を得る権利を持つ者と持たざる者との確執がいつ表面化してもおかしくない場所が、いわき市中央台の丘陵地帯に広がっていた。
「ここには、高台に広野町からの避難民が住む仮設住宅があり、その下に楢葉町の仮設住宅、
そして真新しい一戸建てが立ち並ぶ新興住宅街が、整備された通りを挟んで並んでいます」と語るのは、広野町から逃れ、仮設住宅に住む60代の男性だ。
「広野町の住民への精神的賠償は、原発から20キロ圏外ということで、2012年の8月に打ち切られました。
月の収入補償も避難指示解除に伴い、翌年末に終了した。一方、原発からの距離がわずか数キロしか変わらない楢葉町の連中は、
未だに手厚い補償をもらっている。同じ仮設住宅に住む身とはいえ、待遇は雲泥の差なのです。
向こうの仮設住宅の駐車場にはBMWやレクサスなどの高級車が並んでいる。
そしてすぐ近くの新興住宅街は、3年前までは原っぱだったのに、あっという間に新築の一軒家が隙間なく立ち並んだ。
補償金をもらっている避難者が購入したものが多いといいます。こっちは生活に四苦八苦しているのに……。なんでこれほどの“経済格差”が生まれるのか、納得がいきませんよ」
やっかみが心無い犯罪も生んでいる。一昨年、仮設住宅に停められた車7台が窓ガラスを割られたり、ペンキをかけられる事件が発生したのだ。
避難民のお金の使い方がハデだから、妬みが出ているとの指摘もある。
「パチンコ、外食、買い物などに現れています。市内のパチンコ屋はいつも満員。潰れそうだったファミレスの入り口や大型スーパーのレジには長蛇の列ができている。
彼らは医療費が免除されているので、病院も混み、今までなら30分待ちだったのが、3時間、4時間待ちになった。
医師に対し、“一番高い薬をくれ”なんて言い方もして顰蹙を買っています」(市民)
タクシーの運転手も、「仮設住宅のお客さんには、私も何度も呼ばれました。朝9時前にお迎えに行き、パチンコ屋に直行です。
3000円くらい車代がかかるんですが、一時は毎日のように出かける人もいた。そういう人は閉店まで遊んで、夜10時頃、また呼んでくれます。
車中で“今日は10万円負けた”とか言いながら、次に指定する行先は田町と呼ばれる繁華街です。
スナックやキャバクラに繰り出し、飲み明かす。帰りは午前様で、また仮設まで送っていくというのが日常の光景でした」
ジャブジャブ注ぎ込まれた補償金は、いわき市の不動産の俄かバブルも招いた。昨年発表された公示価格や基準地価の上昇率は全国3位にランクアップ。
むろんそれは実勢価格も押し上げ、「郷ケ丘という新興住宅地は、震災前、坪14万円ほどでしたが、今は20万円以上に高騰。32万円のところも出たと聞きました。
避難民の方が購入しているためで、彼らの8割~9割がキャッシュで買います」(不動産屋)
新築マンションも飛ぶように売れている。
「平(たいら)中央公園に建設され、昨年引き渡しとなったマンションは、全58戸が発売開始からわずか2カ月で完売した。
あり得ないことです。同じ業者が来年の竣工をめざし、平の川沿いに開発中のマンションも、125戸もあるのに、すでに完売しました。
いずれも2500万円台から4500万円台のファミリータイプで、購入者の半分近くが避難民の方です」(販売業者関係者)
物件が少なくなったことがさらに地価上昇を呼び、地元いわき市民には手が出せなくなっているという。その実情がさらに両者の溝を深めているのだ。
長引く避難生活で不満や鬱憤が溜まっているのは理解できるが、無軌道にお金を使うのはいかがなものか。
これを可能ならしめる東電の補償金の内容について、説明しておこう。
震災時に避難等対象区域に住民票があった人への補償として、まず2011年3月から、
避難民1人につき、精神的損害賠償として月10万円の慰謝料が支給されている。
赤ん坊から老人まで一律で、震災後に生まれた子どもにも支払われる。
それとは別に就労不能損害賠償がある。震災前の給与と現在の収入を比べ、減収分を補填するものだ。
さらに家財道具や土地・家屋への賠償金がある。また避難先で新たに住宅(持家)を確保した人には、
それにかかった費用の一部(賠償金では足りない部分)を補填している。
先の慰謝料については、さらに、一昨年末の文科省の原子力損害賠償紛争審査会の指針決定を受け、新たな措置が付け加えられた。
「現時点で放射線の年間積算線量が50ミリシーベルト超の帰還困難区域と大熊町、双葉町の方々に、移住を余儀なくされたことに対する慰謝料として、
1人700万円を一括で上乗せすることになりました。過去に5年分を一括払いした分など、すでにお支払いした約750万円と合わせ、計約1450万円となる。
いくつかの例外を除けば、これが精神的損害慰謝料の全てとなります。他の2区域につきましても、最大でもそれと同額に達するまでが目安となりますが、
避難指示が解除されて以降は、1年間を相当期間として、月10万円をお支払いします」(経産省関係者)
こうした補償により、たとえば、楢葉町で農業をやっていた60代の男性は、
「母と二人暮らしでした。母は2年前に亡くなりましたが、慰謝料はすでに今年2月分までを一括して受け取っていた。
江戸時代からあった屋敷や山林、トラクターなど農機具の賠償など、諸々合わせて、1億1000万円ほど支給されました。
しかし、長年住み慣れた家を元通りにすることは叶わず、この倍はもらっていいと思っています」
帰還困難区域で持家ではなかった4人家族が受け取る補償は、約8000万円となる見込みだ。
また先述の通り、持家があり、避難先で新たに住居を確保した4人家族では、400~500もの世帯が1億4000万円もの補償金を受け取る。
さらに田畑や山林も所有していた避難民の中には、総額1億5000万円を超える補償を得る世帯もあり、その数は200前後に迫るものと見られている。
「震災前の福島県民の平均年収が約300万円だから、その50年分ですよ。わずか4年で生涯賃金を上回る収入を得る家族がごろごろ出ることになる」(県関係者)
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http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1427156888/
補償金を得る権利を持つ者と持たざる者との確執がいつ表面化してもおかしくない場所が、いわき市中央台の丘陵地帯に広がっていた。
「ここには、高台に広野町からの避難民が住む仮設住宅があり、その下に楢葉町の仮設住宅、
そして真新しい一戸建てが立ち並ぶ新興住宅街が、整備された通りを挟んで並んでいます」と語るのは、広野町から逃れ、仮設住宅に住む60代の男性だ。
「広野町の住民への精神的賠償は、原発から20キロ圏外ということで、2012年の8月に打ち切られました。
月の収入補償も避難指示解除に伴い、翌年末に終了した。一方、原発からの距離がわずか数キロしか変わらない楢葉町の連中は、
未だに手厚い補償をもらっている。同じ仮設住宅に住む身とはいえ、待遇は雲泥の差なのです。
向こうの仮設住宅の駐車場にはBMWやレクサスなどの高級車が並んでいる。
そしてすぐ近くの新興住宅街は、3年前までは原っぱだったのに、あっという間に新築の一軒家が隙間なく立ち並んだ。
補償金をもらっている避難者が購入したものが多いといいます。こっちは生活に四苦八苦しているのに……。なんでこれほどの“経済格差”が生まれるのか、納得がいきませんよ」
やっかみが心無い犯罪も生んでいる。一昨年、仮設住宅に停められた車7台が窓ガラスを割られたり、ペンキをかけられる事件が発生したのだ。
避難民のお金の使い方がハデだから、妬みが出ているとの指摘もある。
「パチンコ、外食、買い物などに現れています。市内のパチンコ屋はいつも満員。潰れそうだったファミレスの入り口や大型スーパーのレジには長蛇の列ができている。
彼らは医療費が免除されているので、病院も混み、今までなら30分待ちだったのが、3時間、4時間待ちになった。
医師に対し、“一番高い薬をくれ”なんて言い方もして顰蹙を買っています」(市民)
タクシーの運転手も、「仮設住宅のお客さんには、私も何度も呼ばれました。朝9時前にお迎えに行き、パチンコ屋に直行です。
3000円くらい車代がかかるんですが、一時は毎日のように出かける人もいた。そういう人は閉店まで遊んで、夜10時頃、また呼んでくれます。
車中で“今日は10万円負けた”とか言いながら、次に指定する行先は田町と呼ばれる繁華街です。
スナックやキャバクラに繰り出し、飲み明かす。帰りは午前様で、また仮設まで送っていくというのが日常の光景でした」
ジャブジャブ注ぎ込まれた補償金は、いわき市の不動産の俄かバブルも招いた。昨年発表された公示価格や基準地価の上昇率は全国3位にランクアップ。
むろんそれは実勢価格も押し上げ、「郷ケ丘という新興住宅地は、震災前、坪14万円ほどでしたが、今は20万円以上に高騰。32万円のところも出たと聞きました。
避難民の方が購入しているためで、彼らの8割~9割がキャッシュで買います」(不動産屋)
新築マンションも飛ぶように売れている。
「平(たいら)中央公園に建設され、昨年引き渡しとなったマンションは、全58戸が発売開始からわずか2カ月で完売した。
あり得ないことです。同じ業者が来年の竣工をめざし、平の川沿いに開発中のマンションも、125戸もあるのに、すでに完売しました。
いずれも2500万円台から4500万円台のファミリータイプで、購入者の半分近くが避難民の方です」(販売業者関係者)
物件が少なくなったことがさらに地価上昇を呼び、地元いわき市民には手が出せなくなっているという。その実情がさらに両者の溝を深めているのだ。
長引く避難生活で不満や鬱憤が溜まっているのは理解できるが、無軌道にお金を使うのはいかがなものか。
これを可能ならしめる東電の補償金の内容について、説明しておこう。
震災時に避難等対象区域に住民票があった人への補償として、まず2011年3月から、
避難民1人につき、精神的損害賠償として月10万円の慰謝料が支給されている。
赤ん坊から老人まで一律で、震災後に生まれた子どもにも支払われる。
それとは別に就労不能損害賠償がある。震災前の給与と現在の収入を比べ、減収分を補填するものだ。
さらに家財道具や土地・家屋への賠償金がある。また避難先で新たに住宅(持家)を確保した人には、
それにかかった費用の一部(賠償金では足りない部分)を補填している。
先の慰謝料については、さらに、一昨年末の文科省の原子力損害賠償紛争審査会の指針決定を受け、新たな措置が付け加えられた。
「現時点で放射線の年間積算線量が50ミリシーベルト超の帰還困難区域と大熊町、双葉町の方々に、移住を余儀なくされたことに対する慰謝料として、
1人700万円を一括で上乗せすることになりました。過去に5年分を一括払いした分など、すでにお支払いした約750万円と合わせ、計約1450万円となる。
いくつかの例外を除けば、これが精神的損害慰謝料の全てとなります。他の2区域につきましても、最大でもそれと同額に達するまでが目安となりますが、
避難指示が解除されて以降は、1年間を相当期間として、月10万円をお支払いします」(経産省関係者)
こうした補償により、たとえば、楢葉町で農業をやっていた60代の男性は、
「母と二人暮らしでした。母は2年前に亡くなりましたが、慰謝料はすでに今年2月分までを一括して受け取っていた。
江戸時代からあった屋敷や山林、トラクターなど農機具の賠償など、諸々合わせて、1億1000万円ほど支給されました。
しかし、長年住み慣れた家を元通りにすることは叶わず、この倍はもらっていいと思っています」
帰還困難区域で持家ではなかった4人家族が受け取る補償は、約8000万円となる見込みだ。
また先述の通り、持家があり、避難先で新たに住居を確保した4人家族では、400~500もの世帯が1億4000万円もの補償金を受け取る。
さらに田畑や山林も所有していた避難民の中には、総額1億5000万円を超える補償を得る世帯もあり、その数は200前後に迫るものと見られている。
「震災前の福島県民の平均年収が約300万円だから、その50年分ですよ。わずか4年で生涯賃金を上回る収入を得る家族がごろごろ出ることになる」(県関係者)
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