2014年1月10日金曜日

人権はフルスペックで当たり前

  乙武洋匡さんがイタリアンレストランへの入店を拒絶された件について、大筋の話は既に落着している。

 当該のレストランに苦情が殺到したことや、乙武さんのツイッターアカウントが炎上した点についても、ご本人が自身のブログ上で行き届いた総括をしたことで、騒動は鎮静化している。

 なので、この問題自体を蒸し返しすつもりはない。
 私自身は、初期段階から、当件には関与していない。ネット上で、騒ぎが拡大していることに気づいてはいたが、あえて見に行くことはしなかった。
 つい先ほど、この原稿を書くための予備取材の意味で、乙武さんのブログと、いくつかのまとめサイトの記述をチェックしに行っただけだ。
 だから、何も言わない。

 これまで静観していた人間が、ことここに及んで何かを言うことは、態度として好ましくないと思うからだ。
 決着のついたレースについて、したり顔で解説を垂れる評論家の言い草を、競馬ファンの多くは、軽蔑している。

「馬券も買わなかったヤツが何を言う」

 彼らは、勝ったのであれ、負けたのであれ、自腹を切った人間の言葉を尊重する。リスクを冒しに行っていない人間の言葉には、耳を傾けない。

 今回の出来事についていうなら、馬券を買っていた(つまり、リスクを負っていた)のは、乙武さんとイタリアンレストランの店主だけだ。
 そういう意味で、私は、論評する資格を持っていないと考えている。

 今週は、障害者一般の話をしたい。
 と、書き始めたとたんに、いきなり炎上の種子が宿っている。

「障害者」

 という表記がそれだ。
 私も、かつて、この文字を使うことについて、何人かの人間から注意を促されたことがある。

「私は『障碍者』という字を使っています」
「『碍』という難読漢字が嫌なら、『障がい者』というふうにひらがなに開く手もありますよ」

 なんでも、「障害者」という単語を構成するうちの一つである「害」という漢字に、「他者を傷つける」という意味合いがあることが、「さまたげられている」当事者である障害者のありようにふさわしくないというのが、彼らの言い分であるらしい。

 なるほど。
 趣旨は了解した。

 しかしながら、私は、「障がい者」と「障碍者」の、いずれの表記も好まない。

 まず、「障がい者」という表記は、漢字とかなの交ぜ書きが不快で耐えられない。
 あえて「害」の字を排除した書き手の意図が行間に横溢してしまっている点も感心しない。

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─情報元:日経ビジネスオンラインサイト様─