2011年4月1日金曜日

放射線、被曝の有無…見えぬ恐怖と福島魂

 東日本大震災の発生12日目の22日、福島県に入った。被災者の受け入れ方針を佐藤雄平知事に説明するため現地入りした佐賀県武雄市の樋渡(ひわたし)啓祐市長の同行取材だった。被災者の集団疎開を提案しているソフトバンクの孫正義社長も一緒とあって、安全な取材だと思っていた。

だが前日、東電福島第1原発3号機から灰色の煙が上がったとの報道に動揺した。十分下調べをし知識を得たつもりだったが、「被曝(ひばく)」の不安が突如現実味を帯びて頭をよぎった。

市に指定された装備は厳重だった。「福島県境を出る際、着衣は捨てることになっている」と告げられ、そんなわけないだろうと思いつつ、捨ててもいい服と靴を用意した。午前9時に東京を車で出発。11時半、栃木県那須塩原市に入ったとき「放射線量が0.3マイクロシーベルト(毎時)を超えたので、マスク、手袋も着けて」と告げられた。この数値は、人体に影響を与えるものではないが、その通りに従った。

県内に入ると、人々はマスクも着けず外を歩いていた。市長と孫社長はマスクも手袋も帽子も外した。報道陣は全員、放射線量計を首からぶら下げていた。

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http://news.livedoor.com/article/detail/5454624/
─情報元:産経新聞サイト様─