2014年4月26日土曜日

先日、お話をうかがった不倫経験者のご意見は、非常にシンプルなものでした。なぜ不倫をしたのか?という問いに対して

1、性的な欲求(エッチしたかった)
2、誰かに認められたかった(いい子いい子してほしかった)

というシンプルなお答え。

不倫はいいことですと、おおっぴらに言っている人はいないと思います。どちらかと言えば「不倫は文化です」ではなくて、「不倫はしてはいけません」という意見が、世間の一般的な意見だと思います。ただ、不倫がダメと言っている人でも、性的な欲求もあるでしょうし、誰かに「いい子いい子」してもらいたいという願望もあるでしょう。それが人間という生き物なので。

では、不倫をしない人は、こういった“欲求”や“願望”を我慢しているのか?と言えば、おそらく我慢している人もいるでしょう。でも、我慢は長く続かないこともありますし、不倫を回避する方法として「我慢しましょう」というのは、ちょっと違う気もします。

けれども、たとえば「足るを知る」ことで、不倫を回避することは可能だろうと思います。今を満ち足りたものとし、現状に不満を持たないとか、己の身のほどを知り、それ以上を望まないとか、そういったことです。足るを知れば、エッチも「いい子いい子」も「分相応」でいいということで、不倫を回避することができるかもしれない。

これは、より精神的に高い暮らしをすることで不倫を回避できるということと、同じような気がします。もちろん、よほど徳を積んだ人でも不倫をする場合があるわけですから、これが最良の不倫を回避する方法でもないと思いますし、人間をやっている以上、回避しようもないという言い方だってできると思います。
しかし、より精神的に高い暮らしをしていたら、性的なものに関するネガティブな感情から、わりと解放されるのではないかと思います。また「いい子いい子してほしい」という願望と「甘え」は、本質的にどう違うものなのかについて考えがおよぶようになります。

こう考えると、多少は不倫を回避することはできるということになります。けれども、人間をやっている以上、不倫は回避できないという考えと、常にイタチごっこである(人は108つの煩悩から解放されない)というのも事実で、常に気を張って生きていくというのが人間の宿命かもしれません。
(ひとみしょう)

http://news.livedoor.com/article/detail/8772761/
─情報元:ローリエサイト様─