女子日本代表なでしこジャパンが、リオデジャネイロ五輪アジア最終予選で敗退し、4大会連続の五輪出場を逃した。ベトナムを6-1で下して意地の初勝利を挙げたが、出場2枠がオーストラリアと中国で確定。女子が五輪出場を逃すのは00年シドニー大会以来16年ぶりとなった。昨季限りで現役引退した澤穂希さん(37)を大黒柱に、11年W杯ドイツ大会で初優勝するなど栄光の時代を築いたなでしこに何が起きたのか。「凋落なでしこ」と題し、衰退の理由を3回連載で探る。
思えば、あの時から敗退の予兆はあった。昨年末、監督の佐々木の耳に澤引退の一報が舞い込んだ。「リオ五輪で勇退」という臆測もあり、思わず漏らした。「誤算。リオに連れていくつもりだった」。迎えた最終予選。「ポスト澤」として昨年のW杯カナダ大会でブレークした宇津木(モンペリエ)は体調不良で選外。川村も中国戦で痛恨のバックパスミスを犯した。
プレー以上に大きかったのは、精神的支柱が抜けた穴だった。澤は、主将の宮間と若手選手の間を埋められる無二の存在。宮間はピッチ上の指揮官として、時に佐々木の要求すら突き返すほど気が強く、自分にも他人にもスキを与えない。ある若手は苦笑いする。「厳しすぎ。みんな萎縮しちゃって、何も宮間さんには言えませんよ」。反対に、宮間からすれば「甘すぎる」となる。溝は深かった。
そこで潤滑油として働いていたのが澤だった。11年W杯優勝を契機に宮間へ主将を引き継いだ後、自宅に招いて手料理を振る舞い「私がみんなとの間に入るから。あやは好きなように引っ張って」と背中に手を回した。15年W杯ではベンチからチーム全体を見渡し、練習でサブ組から激しく突き上げた。佐々木と負傷離脱寸前だった岩渕の話し合いも取り持ち、正確な意思疎通にも一役買っていた。
その存在を失ってから初めての大会。澤から10番を受け継いだ大儀見は気負いすぎたのか、連日、取材エリアでチームメートへの苦言を呈するようになった。4日中国戦に敗れた後は「ピッチに立つ以前の問題」と泣き、怒りの矛先を仲間に向けた。ところが、これらの手厳しい言葉はチーム内で1度も発していなかった。ある選手は、いつも報道を通じて伝わる大儀見の批判に首をかしげる。「話す場所が違うでしょ」と。
FIFA年間女子最優秀選手賞に、W杯MVPと得点王。「苦しい時は私の背中を見て」とまで言ったレジェンドは代えの利かない存在だった。澤がいないところでは、ミスした選手に陰で詰め寄る選手も出てきたという。「みんなの前で謝罪してよ。気が済まないから」。頂点からの、必然の瓦解(がかい)だった。
シドニー五輪に出場できず、絶対に逃せないアテネ五輪の最終予選。澤は手術が必要なほどの右膝負傷を押して強行出場した。ストレスでじんましんが出ながらも体を張り、2大会ぶりの五輪に導いた。そこから続いた出場が途絶え、露呈した「澤ロス」の深刻さ。次の世界大会は19年W杯フランス大会。3年半後に克服できるのか、極めて難しい宿題が残された。
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─情報元:日刊スポーツサイト様─