eneloopというブランドが死んだ。
「Panasonic」と大きく描かれた電池を見て、そう思った。
eneloopは、前職のおり、幾度となく関西に出向いて開発者、マーケティング担当者、デザイン担当者に取材を重ねて、ウォッチしてきたブランドだけに、思い入れが強い。あの頃は、「あー、eneloopの成功物語、本にするなら俺書きたいなー」と本気で考えていたくらいだ。
そんなeneloopの(事実上の)死によせて、見聞きしてきたことを振り返ってみたい。
eneloop誕生の背景
当時の三洋電機は、中越地震による被害と、デジカメ製造の競争激化を背景に経営環境が悪化。2005年に創業家の経営から、ジャーナリストの野中ともよをCEOに迎えたことが、eneloop誕生の最初のきっかけとなる。
新経営陣はデジカメ製造やAV機器関連にある程度見切りをつけ、シェアが高く将来性のある太陽電池事業、携帯機器という底堅い需要のある二次電池、そして浄水技術を柱に、電機からエコ企業へと大きく舵を切ろうとしていた。
その方針は、2005年7月に「Think GAIA」という新しい企業ミッションの表明、という形で明らかにされる。「未来の子供たちへ美しい地球を還そう」をスローガンに、エコ技術の企業への生まれかわりを宣言したわけだ。このThink GAIAプロジェクトの第一弾製品として生まれたのが、eneloopとなる。
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─情報元:daialogサイト様─